キャンパスライフレポート
沖縄県外で頑張るうちなーんちゅ
福山平成大学:金城 敏樹くん
クラブ・サークル活動が盛んな福山平成大学。スポーツ系クラブは全24種類。テニスコートは人工芝コートが4面。夜間照明も完備。
卒業後は沖縄で体育教師になります。
周りが無理と言っても、負けず嫌いだから。
小学6年生からソフトテニスを始め、中学、高校、大学と部活漬けの日々を過ごしてきた金城敏樹くん。福山平成大学に進学したのはソフトテニス部が強かったから。また、体育教員の免許取得をしっかりフォローしてくれるのもポイントだった。
そう彼の夢は、沖縄で体育教師になり、ソフトテニス部を指導する事。昨年の秋には母校で教育実習を経験。お世話になった先生やコーチと嬉しい再会を果たした。「教職でしかも沖縄採用を目指すのは、競争率が高過ぎると友達からは言われます。でも無理と言われる道に、あえて進んで行きたいと考えるが僕なんです」。そんな金城くんの負けず嫌いなエピソードをひとつ。沖縄では泳ぐ習慣があまり無いのだが、ナイチャーは正反対の誤解をしている。そのため大学で水泳の授業が始まった当初、金城くんは周りから「沖縄人なのに泳げないヤツ」というフラグを立てられた。悔しい思いをした金城くんだったが、「体育教師になるのに水泳が苦手じゃダメだ!」とすぐさま猛練習。今では水泳の技術だって相当なもの。そんな彼だからこそ、沖縄で教鞭をとる夢も、人知れぬ努力で叶えるに違いない。
金城 敏樹 Toshiki Kinjo
沖縄県立那覇西高等学校出身。福山平成大学 福祉健康学部 健康スポーツ科学科4年。実家は名護市。スポーツが盛んな那覇西高等学校に進学した高校時代から一人暮らしを経験。そのため、県外での暮らしにも不安は無かった。「ただ、冬の寒さには参りました。洗濯物が凍っていたのにはびっくり!」
【保護者からのメッセージ】
金城 直樹さん・かをりさん
失敗してもいいので
常に前に前に向かって欲しいですね
高校生の頃から一人暮らしだったので、県外大学への進学は特に心配はなかったですね。今の大学も知り合いから勧められたこともあって、安心して進学させることができました。小学校から毎日テニス漬けで、友達と遊びにいくよりもテニス優先でした。中学の時は勝たないといけないというプレッシャーで精神的に大変だった時期もあったけど、負けず嫌いな性格で乗り越えてました。人の後をついていくのではなく自分から前に進んで欲しいです。失敗から学ぶ事も多いので、健康に気をつけて頑張って欲しいです。