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日本の教育の未来を考える|教育対談

2014年03月20日

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日本の教育の未来を考える
子どもたちひとりひとりに対応した教育を
森弘達×藤原和博

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子どもたちを取り巻く厳しい教育環境

藤原 子どもたちが多様化していると思います。日本経済がピークを迎えてから15年くらい経ちましたが、成熟社会そのものがよのなか全体を多様化させ、複雑化させ、よのなか全体の変化を激しくさせています。子どもたちも例外ではないわけですね。軽度発達障害といっても、5人いたら5人とも全然ちがっています。本当は5人それぞれに寄り添ってちがった対応をしないといけない。しかし、残念ながらいまの学校システムというのは、明治に学校制度ができてから130年以上も一斉授業というものを変えることができていないですね。

習熟度授業を行ったとしても、せいぜい、勉強のできる子とできない子と真ん中の子みたいな、学校ではそういう言い方を絶対しないのですけれど、せいぜい、チャレンジ組とかもうちょっと組とかみたいな言い方をするわけです。そういう意味で、学校システム自体が行き詰まってきていると思っています。一斉授業そのものが相当行き詰まっていて、それに対して、小学校の高学年から中学生くらいの児童・生徒が反発をして、不登校やいじめ問題を起こしていると考えられます。

こうした問題を授業とは別の問題だと捉える人がいますけれど、現実には小学校3年の授業が重要です。小学校3年生、4年生、5年生、6年生で算数が重要ですね。それまで3つのリンゴと、2つのリンゴを足すといくつになりますか、という生活に沿ったものだったのですが、いきなり「3/5足す3/4」というのが登場してきて、3/5なんて今の小学生の生活にはないですね。団塊の世代の人だったら、5人兄弟でりんご3つを分けて食べる、今はそれがないですね。

また、算数の問題に羊羹(ようかん)を切り分けるという問題もありますが、今の子たちは羊羹1本なんて見たことないし、コンビニでは一人前に切られて売られていますから、そういう意味では小学校3年生からの算数の抽象化に学校教育が追いついていないという問題があります。小学校3年生の半分くらいが落ちこぼれますね。そのうちの半分くらいの児童・生徒が小学校や中学校を荒らすってことがあります。

それで授業というのは、児童・生徒ひとりひとりに寄り添って、もっと緻密にやっていくことによって、本当はもっと多くの子どもたちを救えるし、それからそれができれば学習指導を中心にして、生活指導の負担がもっと軽くなるというか、中学の生徒指導の負担がもっと軽くなるのに、そこを誰も解決しようとしていません。これが最大の問題だと思っています。一斉授業が崩壊寸前であるのに、学習指導要領も教科書も学校システムも先生も、それに対応できていません。そういう中でも勉強ができる子はいいです。塾に行って先をどんどんできる子はいいですけれど、そうじゃない子が落ちこぼれという名のもとに、どんどん放っておかれているという、これを何とかしないといけないと思っています。

 中学校、高校、あるいは大学でも一斉授業が中心です。全国的に見ても、進学校やエリート校といわれる中高一貫校であっても落ちこぼれる生徒や、中だるみする生徒、逆に自分で授業よりも先に進む生徒はいますね。このような現状の中で進学校であっても真ん中の生徒に合わせて授業をしないと学習指導要領で決められている内容を終えることができません。公立の小学校・中学校・高校ではもっとそういう問題を抱えていて、今後、一斉授業を続けていくことは困難を極めるでしょう。

pixta_3154795_M一斉授業以外の指導としては、グループ学習や個別指導があります。僕は長年、現場でキャリア教育、進学指導、受験指導を行っています。特に、進路指導や個別指導を昼休みや放課後、夏休み、冬休み、春休みに行っています。非常に効果があります。キャリア教育や進学指導では生徒ひとりひとりに向き合って一緒になって、将来について考えていきます。

受験指導ではAO・推薦入試や一般入試の医学部の小論文や面接・プレゼンテーションの指導を行います。年間に述べ200回~300回は個別指導を行っています。これまでに私が個別指導した生徒たちの中から国立大学や私立の難関大学に多数合格し、特に医学部医学科入試において500人以上が合格するなど成果が上がっています。

時間のやりくりや教材の準備は大変ですが、生徒ひとりひとりに合わせた教育をやっていくというのは非常に効果があります。個別指導にはマンパワーが必要になります。学校の先生は授業以外にも、校務分掌、クラス担任、部活動、職員会議、PTA活動、地域行事など多くの仕事を抱えています。そんななかで生徒ひとりひとりに合わせた授業をしていくことは教員にとって肉体的にも精神的にも大変です。

この対策として、教員定数の拡大、教員の仕事の整理などが考えられます。財政難の中で難しい面もありますが、日本はOECD加盟国の中で教育への公的支援が最も低いので、教育予算を増額すべきです。他には無料のWeb授業を導入して教員の仕事の軽減を図るべきです。これらによって個別指導ができるようになるといいと思います。塾では個別指導がありますけれど、学校でも個別指導やWeb学習が導入されると、日本の教育はどんどん良くなって行くでしょう。

学校教育のシステムが行き詰まっている

藤原 そこはすごく大事なところですけれど、教員集団をマクロにみて、公立の小中学校の教員はだいたい60万人いると思います。いまその年齢構成がすごく変質していて、50代の教員がだいたい30%くらいで、これから10年の間に定年退職で抜けて行きます。この人たちが良くも悪くも、ベテランであり、ノウハウを持っています。学習指導の方法もそうだし、いじめの対処もそうです。この年齢層の下の30代、40代の教員が都市部ではとても少ないです。50代と団塊世代の年齢層が多かったものですから、採用を減らしたのです。実際、それで50代の教員がいなくなるので、あわてて20代の教員を採用しています。

それで東京都と大阪府で何が起こっているのかというと、教員採用試験の採用倍率が低くなっていて、東京都の教員採用試験では倍率が実質2倍を切っているとまで言われています。私企業の場合ですと、実際に応募倍率が7倍を切ると質の低下が起こってくるので、ものすごく質の低下が起こっています。これは誰にも変えられないことです。それを変えるためには、もっと30代、40代の教員を採用しておけばよかったんですけれども、昔のことを言ってもしょうがないですね。

この現実をしっかりと見つめないで、文部科学省の中央教育審議会では、すぐに教員の質の向上が叫ばれます。民主党政権のときもそうでした。教員の質の向上にはどうしたらいいのかといって、結局、大学4年間では足りないから、修士まで取得させるべきであるという議論がされました。時間稼ぎではないですが、いまの大学の先生があと2年間教え続けたとしても、絶対に教員の質は上がりません。そういう時間稼ぎをするのだったら、私は一人ででも訴訟を起こすぞといってその場で止めに入った(笑)というエピソードもあります。

研修で教員の質を上げようとしても、もう無理だと思います。日本の教育の地盤沈下を誰が救っているのでしょうか。国際学力調査をすると、日本はTIMSS調査にしてもPISA調査にしても、日本の児童・生徒の学力は相変わらず高いです。これは一言でいうと公文やベネッセの進研ゼミ、補習をやってくださる私塾、上位層を引き上げてくれている進学塾の影響が大きいですね。諸外国にはそうした補完機能はありませんから。もしも塾や私立学校がなかったら、もっと極端に学力差がつくんじゃないかと思います。

僕はそろそろ、学校教育によるごまかしを改めて、おそらく10年、15年かかりますが、教えるということにもっとサイエンスを持ち込んで、教員に何でもかんでも教育のすべてをやらせるということをやめることが重要だと考えています。教員が何をしたらいいのか、もっと突き詰めて研究をしていく。例えば、いまの教員は、小学校であれば全教科を持ちながら生活指導もやる、それから環境教育もやりなさい、IT教育もやりなさい、国際理解教育もやりなさい、それから福祉ボランティア教育もやりなさいと、消費者庁ができると消費者教育をやりなさい、最近ですと、食育をやりなさい、やることがどんどんどんどん増えていきます。

レッテル付きの教育が増えてきているのが、この20年、30年と続いてきました。優秀なビジネスマンがやっていたとしても、とても無理です。それが20代の教員の質が下がる中で、またプラスα、さらに道徳教育を充実させるとか、小学校の英語を週1コマから3コマにするとかですね。これをやると教員に非常に大きな負担がかかります。教員の仕事というのを見直す必要があります。もし英語を週1コマから3コマにするのであれば、おそらく文部科学大臣も考えていると思うのですが、外注化が必要です。外注すると、教員免許を持った教員だけに任せるというルールを崩すことができます。教科については、特に小学校ですね。全教科をやらないといけない教員をどうやって変えていくかが重要です。

 これから多くのベテラン教員が定年退職を迎える中で、新卒の教員を多く採用して、教育現場に入れたとしても、教育現場がもたないでしょう。一般的に教員というのは閉ざされた学校の中で、人間関係が閉ざされているし、外を見ない人も多いし、見る余裕もないほどの仕事の多忙さもあると思います。そういったところに外の風、民間校長や地域の人々、企業が入ってくることが教員にとっても児童・生徒にとっても良いことだと思います。また、現場での教員養成や教員研修が重要なのにベテランがいなくなるのは大問題です。教職課程を修了し、教員免許を取って、教員採用試験に受かったらずっと教員です。今は免許更新もありますが、それよりも教員が現場でベテラン教員や保護者・地域住民と交流する経験の方がよっぽど鍛えられますね。

藤原先生のお話の中にあった授業にサイエンスを持ち込むということも必要だと思います。成熟社会は急速に変化する社会です。授業の中で映像を使ったり、ディベートを行ったり、インターネットを通じて海外と交流したり、授業を積極的に変えていくのです。新しいものを取り入れてみて、試行錯誤してやってみるということは必要です。失敗もあるでしょうが、周りが批判して潰してしまわないことが大切です。親にとって自分の子どもの教育はすごく大切なので、うまくいかないと親はすぐに教員を批判します。そこを少し我慢して、学校の新しい取り組みや先生の新しい取り組みを、地域や保護者が支えてくれれば、教員も少しは勇気を持ってやれると思います。これからは「これはまずいんじゃないか、これを教育でやったら失敗するぞ」とか、「それだったら今まで通りやった方がいい」は禁句ですよ。

50代の教員が定年定職でもうすぐたくさん辞めてしまうことについては、僕もすごく危機感があります。若い教員はベテランの授業や生徒指導を学びながら自分の授業や仕事をつくりあげていくのです。教員は職人ですから。学ぶモデルが現場に無くなってしまう、それが一番大きな問題です。これに対しては、全国のベテラン教員の授業をWebで見たり、都道府県の枠を無くして教員が異動できたりする新しい教員養成や人事システムをつくるのがよいでしょう。教員は、他校のいい授業があっても、結構スルーしたり批判したりして、なかなか真似したりしないですね。でもそんなことを言っていられなくなります。僕なんかは逆で、他校の授業を見に行ったり、有名予備校の講師が映像でやっているのを見たりして、これはうまいなと思ったら真似てみたりしてね。そういった姿勢だけでなく、システムが必要です。

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©藤原和博『負ける力』(ポプラ新書)P.201より

藤原 20世紀まで、大人も、子どもも、日本人は、こういう感じの標準偏差でいたんです。年収400万円~800万円に国民の7割くらいの人々が入るという社会でした。子どもたちもきれいな標準偏差の形でこういうカーブを描いていました。だから、ここに合わせた教育という一斉授業が効果的でした。それが今はこうなっています(右図)。二極化しています。

和田中でも私が赴任した年、調査したら、このように二極化していました。それが3年ほどで一山になった。45分授業で週に英数国を1コマずつ積み増したことと「土曜寺子屋(ドテラ)」や学校支援地域本部のサポートの影響が大きいと思います。地域社会に経済的格差のある学校ではこうなっているはずです。超進学校では上位に寄っているでしょうが、ほとんどの学校で二極化しています。生活指導困難校とか底辺校とか言われている学校ではもっと厳しいことになっています。それにも関わらず、真ん中あたりの児童・生徒に合わせて一斉授業をやっているわけです。今までは普通の子に合わせた一斉授業というのが20世紀の教育モデルだったのですが、普通の子ってどこにいるのでしょうか。一斉授業だと成績トップのできる子どもたちに対応していません。できる子どもたちには、主に中高一貫校、塾や予備校が対応しています。さらに一斉授業はできない子どもたちにも対応できていません。ストライクゾーンがずれてしまっているのです。いまはこのような状況になっているので、上位は上位で下位は下位で対応しないとまともな教育はできないです。それを習熟度別授業といって加配を一人するから、2クラスを3つに分けてやって下さいと言っても有効性は低いです。だから習熟度別授業で成果を上げた報告が少ないのです。

 学力分布の二極化ですけれども、これは全国の私立の中高一貫校でもこういう現象はあります。本校でもこのような傾向はあります。入学したときは学力が高いが、その後、勉強しなくなる生徒がいますから。そして、この傾向は入学する前の段階でもその前兆はあるのかなと思います。お受験のために勉強だけしてきた生徒は、入学してから息切れします。逆に読書をはじめ、スポーツ、外遊び、音楽などもやり、勉強もしてきた生徒は、身体的にも精神的にも強く、逞しいのが多い。

f843571d012009e2071a9c5f67030721_s藤原 このもう一つの原因には、地域社会というのが崩壊して、「ナナメの関係」が薄くなっているということがあります。日本社会の大きな課題だと思います。昔だと地域社会というのが成立しているから、ちょっとできない子のお母さんって、近所の大学生のお兄さんに教えてもらいなさいとか、あっちのお姉さんは優しいから宿題を教えてくれるでしょとかね。近所のお兄さんやお姉さんがいると、それは自分の肉親とかじゃなくてもいい。宿題ってわかんない子にとっては一人で考えなさいって無理です。誰かにぱっと聞けるかどうかって話なのです。もちろん塾に通っている子どもたちはラッキーだけど、昔は隣近所のお兄さん、お姉さんのところで、学び合いというのが起こっていて、お世話になったり、お世話したりというのがありました。また、味噌や醤油を借りに行くということがあったわけで、そういう「ナナメの関係」のなかで、底支えが行われていました。昔は7人も8人も10人も兄弟・姉妹がいたりして、親がひとりひとりには構えなかったとしても、兄姉が面倒をみた。

家の中も最低でも「あいうえお表」が貼ってあったり、「九九の表」が貼ってあったり、お風呂に入ったら九九の2の段を全部言えるまでお風呂から上がらせない。そういう気合いがありました。さらに地域社会のお兄さん、お姉さんが、そういうのを支えていました。それが崩壊しました。

戦後数十年で、日本は産業主義をとって地域社会を壊しました。そういう意味での「ナナメの関係」がどんどん弱くなって、それで底支えがなくなりました。それによって二極化が加速したと思います。今の子どもって、「ナナメの関係」の欠乏症なので、お兄さん、お姉さん、おじさん、おばさん、おじいさん、おばあさん役の人がいないか少ないでしょ。沖縄といえども、三世代で一緒に住んでいるのは少ないと思います。だから「ナナメの関係」を復興するということで、底支えをするという手法も効果があります。僕は課題をきちんと述べましたので、解消法については2つのことを述べますが、それは後で述べさせていただきます。

 「ナナメの関係」ですが、近くにおじさん、おばさん、おじいさん、おばあさんがいないとなってくると、「ナナメの関係」はないわけです。そのかわりに「ナナメの関係」をつくる仕組みとして藤原先生が提唱した学校支援地域本部があります。しかし、そういったものが無い地域もあります。

僕が提唱したいのは小さな「ナナメの関係」です。3~4家族くらいで、ママ友・パパ友で近所も含めてすごく仲良くなることです。仕事が忙しいときとか、体調が悪いときに助け合います。子どもの送迎、食事や入浴などをお互いに助け合います。パパの友達、ママの友達だけど、親でもなく先生でもない「ナナメの関係」は、学校支援地域本部がなくてもつくることができると思います。狭い範囲での「ナナメの関係」ですけれども。母親や父親だけで子育てしている、とか、父親や母親だけで悩んで子育てしているところは頼りになると思います。母親同士や父親同士がライバル心を持つのではなくて、3~4家族で協力して子どもを育てることを全国的に提案していってもいいのかなと思っています。

藤原 「ナナメの関係」ね。和田中は学校支援地域本部というのをつくって、そこに60人、70人のボランティアを結集して、放課後の図書室の運用も任せています。また、土曜日の土曜寺子屋はそのメンバーが学習ボランティアになって運営します。さらに、そこには塾の講師や塾頭まで入ってきます。そういう状態です。

大阪府でも同じようなことをやりたいといってはじめました。しかし、当初、大阪府では、塾の先生が学校に入るなんて、とんでもないことでした。それを僕が2008年に入っていって、大阪府教育委員会の意識から変えていきました。大阪府は全国学力テストの結果が沖縄県を除いてビリですよと。この状況を救うには、大阪府知事が非常事態宣言を出したのだから、塾の先生が嫌いだとか言ってられないでしょ、力を借りましょうよ、と。塾の先生にも、学校の先生であんまり宿題を出すやつは困るとか、言っている場合じゃないと伝えました。緊急事態なんだからね。とにかく大阪の子どもたちのために全員結集だと言って、サピックスとかトライのような塾にも入ってもらったんです。

もちろん、塾の先生が入るということに抵抗が強い学校があります。学校の先生は本来塾の先生が学校に入ってくるのを嫌いますから。この風土を崩さないといけません。本来、こういうことをやるためには、民間校長が登場しないとなかなかできないということがあります。

あとは「ナナメの関係」を強くしていくためにも、地域資源を全部学校に投入すべきです。一番大きいのは、2015年以降に、団塊の世代が全員65歳以上になりますので、だいたい1000万人くらいが第二の人生を始めますから、そのうちの1割が地域社会に戻ってきたとしても100万人。ですから、1中学校区あたり100人くらいが戻ってくるという計算になります。この団塊の世代の人たちを味方につけるか、つけないかは、ものすごく大きい。この世代は多くが住宅ローンを返し終わっているし、自分の子育ても終わっています。

それから塾の講師や塾頭にも、土曜日だけ助けてもらいます。もしくは放課後の図書室にだけ張り付いてもらってもよいでしょう。校長が頭を下げないとだめです。校長が校長室でふんぞり返っているだけではだめ(笑)! これからの学校の校長というのは、外に出て行って頭を下げて頼むということをやらないといけない。もしそういうことができないとなると、学校を塾に民間委託するということが数年以内に始まると思います。東京オリンピックより前にこれが始まるでしょう。安倍内閣はそういう意欲満々のようですし、マネジメント能力のない教員出身の校長に任せておくよりは、マネジメント能力のある塾の塾頭なりにやってもらうことが一つの手だと思います。

補習塾で教えてきた先生は、生活指導も含めて優れている人物が多いから、塾にも期待していいと思うのです。「ナナメの関係」から支えるということはそういうことで、あと和田中では地域社会が設立した英語塾として、土曜日に英語アドベンチャーコースという「英語を3コマ積み増すコース」をつくりました。上位層をもっと引っぱり上げるためです。英語の評定で4か5を取る子どもを6まで引っ張り上げる意図でした。これにはさまざまな批判があって、上位の子どもを引っ張り上げるのは、公立の仕事じゃないと言い出す人もいたわけです。でもどうなったかというと、4や5の子が6まで引っ張り上げられると、成長感がすごくあるから、下位の子どもを指導しはじめたわけです。上位の子どもを遠慮なくグッと引き上げたために、この子たちが中位下位の子どもたちを教え始めた、すると授業中あるいは休み時間に、子どもたち同士の学び合いが起こりました。和田中の全体の成績が英語からグーンと上がっていったのです。

こういう学び合いが起こるなら、もっとできる子どもを伸ばした方がいいということで、それで数学も英語もさらにやりました。これが、僕が和田中校長の5年目に開設した「夜(よる)スペ」です。大阪ではテレビなどで「ヨスペ」と伝わったんだけど、「ヨスペ」じゃなくて「ヨルスペ」。それは夏休みに土曜寺子屋の教員志望の学生のボランティアに好きなことやって良いというようにして、それを「サマスペ」と呼んだので、「サマスペ」の展開で「夜スペ」にしたのです。夜スペはいまでも和田中で続いています。和田中では10年間民間校長が学校を経営して、今年の4月から教頭出身のいわば普通の校長に大政奉還しました。それでも「夜スペ」が続いているというのは、地域に支持されているということですね。

 民間校長や公立学校の公設民営の話ですね。僕は私立の中高一貫校に勤務をしています。私立学校の側から公立学校をみると、公立学校は土地も校舎も教職員の人件費も全てを税金でまかなっているので、もっと教育についてのマネジメントに集中できるのではないかという疑問と批判を抱きます。私立学校は土地も校舎も自前で用意して教職員も自ら雇っています。補助金もいくらか受けていますが、公立学校と私立学校を比較すると、公立は非常に効率が悪いです。公立学校はお金の心配をしなくていいわけです。民間校長であれ、生え抜きの校長先生であれ公立学校であれば教育内容について集中して研究すべきです。

OJS_sekitokokuban500私立学校は生徒募集から始めなければなりません。校舎の建て替えの際には、その費用も自前で準備しなくてはなりません。具体的な話をすると、沖縄県の県立高校で生徒一人あたり教育するために年間約106万円かかります。一方、本校では、生徒一人当たり授業料と補助金を合わせて年間約75万円ですべてをやりくりするわけです。それで学力や教育力はどっちが上がっているのか。優秀な生徒を集めているから学力が高いのは当たり前だという批判もあるかもしれません。大事なのは公私間における親の経済的負担の格差是正です。僕は子どもが私立学校に通う親の経済的負担をゼロにすべきであると考えます。これにはバウチャー制度を導入するしかありません。教育費の公的負担を増額するにしても、公立学校はもっと効率の良い教育をすべきです。公立学校は経営破綻することはないのですから。公立学校は私立学校や塾のよいところをもっと見習うべきです。

文部科学省が実施している全国学力調査の結果が8月に発表されました。沖縄県の結果はあまり変わっていない。沖縄はずっと最下位です。ビリに慣れっこになってしまっています。沖縄県知事、沖縄県教育長、各市町村の教育長は、誰一人として学力に関して非常事態宣言を出していません。民間校長を大幅に導入することもしません。大人はもっと子どもたちの教育に対して責任を感じないといけないと思います。

問題は、沖縄県だけではないけれども、成績の上位層を伸ばす教育に反対する勢力がいることです。公立学校だろうが私立学校だろうが、日本の将来を担っていく子どもたちの潜在的な能力を引き出していくことが教育です。「上位層を伸ばすから不平等」とか「学力格差が拡がる」とかじゃなくてね。上位層を伸ばしていけば格差が拡がるから次に下位層をしっかり鍛えていこうという教育が生まれるのです。下位層がいるから下位層に合わせようとか、真ん中に合わせようとかいうのは、ナンセンスです。

文部科学省の全国学力調査の結果が発表されると、沖縄はまたビリですと。夜寝るのが遅い、ちゃんと朝食を食べていない、部活動をやりすぎている、学校に車で送ってもらっているなど。これらは最近、沖縄県の学力低下に関する調査と学習環境調査の結果です。でも、これら学力低下の原因として挙げられているものは、よくよく考えてみると根拠がないことがわかります。また、学力低下の原因を学校マネジメント、教員の授業力の向上、学習内容や授業方法などから遠ざけようとしている感じがします。

本校の生徒たちのように進学校や中高一貫校の生徒たちは、多くが毎日、夜遅くまで勉強し、親に学校への送り迎えをしてもらっています。また、部活動をほぼ毎日頑張って勉強と両立している生徒たちがほとんどです。さらに、部活動を掛け持ちし、習い事やボランティア活動を毎日のようにやっている生徒たちもたくさんいます。このような生徒たちが沖縄県にいながら全国トップレベルの学力を維持し、志望する大学や職業に進み、自己実現と社会貢献を成し遂げています。アメリカやイギリスでも一流の中学校・高校では、生徒たちは勉強だけでなく、スポーツ、音楽、ボランティア活動に励んでいます。そして、これらの経験がないとハーバード大学やオックスフォード大学をはじめとする一流大学には進学できないのです。

沖縄県教育委員会や各市町村の教育委員会は学校マネジメントや学習内容や授業方法をもっと研究すべきです。さらには、彼らの成功事例の捉え方も問われるのではないでしょうか。文部科学省は下村博文大臣のリーダーシップによって「教育改革による日本の再生」へと大きく動き出しました。これからは教育について、市民と行政・教育機関との議論、そして協力が必要です。各都道府県の教育委員会や市町村の教育委員会、公立学校は外部の人材を登用し、「教育改革による地域社会の再生」へと大きく動き出すときです。

そして、もっとも大切なことは市民の意識改革です。全国学力調査の結果が発表された後に、沖縄の地方紙の投書欄に、沖縄県は勉強ができなくても、スポーツ、文化、芸能がある、という県民の意見が掲載されることがあります。とても残念です。これを読んで、大人が、親が変わらなければと痛感しました。もちろん、勉強以外にも大切なものはあります。スポーツ、芸術、芸能、文化など、それと一番大切な他人を思いやる心です。でもそれらは、勉強がよくできてなおそれらの能力に優れ、他人を思いやる心があればよいのです。勉強することは悪いことだという嘘や社会の悪い風潮を変えなくてはいけません。

なぜ民間校長が広まらないのか

藤原 先日、文化戦略会議で議論されたことは、その話題でした。一言でいうと大阪市で民間校長になっても年収で700万円から800万円くらいです。そうすると40代、50代でバリバリビジネスやっている人って、絶対にやらないです。志ある人だとしてもね。通常バリバリやっているビジネスマンであれば、年収1500万円から3000万円くらいはありますから。しっかりしたマネジメントの能力があればの話ですが。こういった状況の中で民間校長の年収が700万円から800万円というところで、40代、50代の優秀な人が民間校長に応募してこないということを、大阪市教育委員会が認めないといけないです。でも、30代で一生懸命頑張っている人たちがいます。志もある若手。この人たちを狙っていくと良いでしょう。30代で活きのいい、しかも教育現場でやったことがある人がいいでしょう。教育現場を全くしらない人は無理です。

かつて日本テレビで11PMという深夜番組のディレクターをやっていた人がいます。その人はその後プロダクションの社長をやって、東京から大阪に来て民間校長になりました。彼は何をやったのかというと、学校にはプアーな放送設備はありますが、戦略予算をもらって、放送部を活性化させようと。大阪市って校長の提案によって500万円の予算をつける仕組みがあるんです。彼の提案は、学校の放送設備をもっと拡充して子どもたちの放送局を作って、地元のおじいちゃんとおばあちゃんたちに取材に行かせるというものでした。子どもたちにテレビ局を作らせる。非常に夢のある企画ですよね。こんな提案は絶対に教頭からは出てこないですよ。そういう民間校長が出てきて、それで学校が活性化するというのを見せていかないといけない。

pixta_327232_M実際に、大阪市では、民間校長が堺市長選直前に不祥事を起こして批判されました。でも一方でデータを見ていれば良い面も見える。全体で100も200も提案が出された中で、民間校長のところにはかなり戦略予算がついていまして、それはひいきでついているわけではなくて、提案が良かったからです。500万円の予算がついた学校が何校かあるんだけど、4割が民間校長のところです。これは、民間校長の成果が少しずつ出てくることにつながるでしょう。あとは大阪市の事例がどうなるかわかりませんが、学校改革は束でやらないといけません。一人だけが民間校長になってやれるものならやってみろとなったら、それは校長会のなかでいじめられます。表向きいじめられるかは別として、ね。

大阪市では反対勢力というのがあって、ある民間校長が赴任する当日ね、教頭が丸刈りにしてきたらしいですよ。これは時代錯誤じゃないかと思いますが。そういうことも含めて、向こうは気に入らないと思ったらいろいろやってくるので、民間校長一人でというのは厳しくて、教育委員会は束で採用する戦略を採るべきでしょう。あとは40代、50代で優秀な人材をそろえようと思ったら、年収1200万円とか1500万円くらい出す覚悟でないと、そうは集まらないと思います。

 ビジネスマンや公務員から民間校長を目指す人が多いと思いますが、僕は公立学校の若くてやる気がある教員から手を挙げてほしいと思うし、私立学校の教員の中からもチャレンジしてほしい。また、私立学校とか公立学校とか言っている場合ではなくて、下村文部科学大臣も提唱していらっしゃるようなバウチャー制度やチャータースクールがいいと思います。

これらの制度によって私立学校も公立学校もそれぞれの特色を出し、親や子どもが学校を選べるようにするのです。もちろん、親の教育に対する経済的な負担はゼロにします。金銭的なハードルが無くなって、自分の力に合わせて、こういうことをこの学校で学びたいという制度ができないと、日本の人材育成は急速な社会の変化に追いつくことができないでしょう。現実問題として、学力的にできる子どもたちの多くは、親がお金をかけて、小さい頃から公文や学研に通ったり、楽器を習ったり、私立の中高一貫校に通ったり、国立大学の附属校に通ったりしています。学力問題に対して、親の経済的負担の問題を解決することが、最重要かつ緊急だと思います。この問題を解決できれば、夢や希望を持てる子どもたちや親たちも増えてくるのかなと思います。

非常に問題であるのは、日本は先進国ですが、格差が拡大していて、諦めてしまっている人たちが子どもから大人まで多数いることです。その中には就職活動を諦めた若者やニートもいるでしょう。それを解消していくものが、バウチャー制度や公設民営学校の制度です。将来的にはいろんなタイプの学校をつくっていくことが理想的です。

公設民営学校を実現するために何が必要か

藤原 小学校・中学校については、市区町村が設置者です。市町村の教育長というのは、ほぼ教員出身の人がなっています。公設民営学校が本当にうまくいくためには、市区町村長(首長)と教育長がしっかりと意思をあわせることが必要です。現状ではおそらく相当難しいと思います。一番、導入しやすいのは、高校で不登校の生徒とかを教育しているフリースクールがあります。ここからだと、不登校の生徒の対策として、それを公設民営学校にするというのはやりやすいと思います。あとは塾の塾頭で自分のライフワークで命をかけてやってもいいと言う人が、小中一貫校とか中高一貫校とか、自分の資本も入れて手がけるとか。株式会社立学校で朝日塾というのが唯一岡山にありますけれども。これは公設民営学校というよりは、ほとんど私立学校化していくでしょうね。

今でも公立の小中学校というのは、だいたい平均で児童・生徒に一人100万円かかっているわけです。児童・生徒一人あたり100万円の税金が投入されている。その100万円でもっと良い教育ができるということ、しかも継続的に行えるということが証明されていけば、必ずしも市区町村の教育委員会が直営店だけで学校を経営する必要はないということになってきます。そういうことが全国各地で証明されていくと公設民営学校が増えていくということになるのですが、重要なのは結局モデルの存在です。僕はあとで多少詳しくいいますが、特区を取らないで「擬似公設民営」というのをやろうとしています。

ある学校の民間校長に塾の塾頭をそのまま就任させることは難しいじゃないですか。公設民営学校というのはもっとハードルが高いですよね。しかし、こういうことならできるんですよ。ある市町村で市長が、地域の学校が過疎地で生徒が減るのでなんとかしたいと。中学校1校と小学校2校くらいを選ぶ。それとも、1つの市で中学校1校と小学校5校くらいしかないのであれば、まとめちゃって新しい校舎で1校にしちゃうっていう手もあります。バスで児童生徒を過疎地まで迎えに行ってね。

さて、そうして、公立学校の上位に「学園」という概念をかぶせます。これは具体的に名前を言ったほうが分かりやすいと思うので、仮に例えば、浦添市で、浦添市立浦添中学校と浦添市立浦添小学校の上に「浦添学園」という上位概念を作って、その配下に浦添中学校と小学校があるということにするということ。これは現行の制度下で可能です。三鷹でもうやっちゃってますから。その浦添学園の学園長に私企業の社長や塾の塾頭がなっちゃうことは可能なんです。非常勤でも良い。特区をとる必要もありません。中学校や小学校には校長先生がいるけど、その社長職の上位に会長職を作る。塾の塾頭が学園長になるのはアリだということです。

pixta_6644836_Mこれによって、塾のノウハウをドンドン入れて学校を活性化させるのは十分可能です。公設民営学校というある種ハードルの高いところへ行く前に、市長に気合いがあって、市長と教育長がきちんと意思統一できるようであれば、そういうことができるわけです。

簡単にいうと「森塾」という素晴らしい塾があると仮定してください。そして、浦添市に「浦添森学園」という学園を設立するということになります。概念として、その「浦添森学園」の下に浦添市立浦添中学校と浦添市立浦添小学校を置いて、民間教育のノウハウをどんどん入れていく。学園長は必ずしも常勤である必要はないのです。東京都三鷹市では、中学校と小学校を二校ずつつなげて、そこに学園というのをつくって優秀な校長が学園長を兼務するということがすでに行われています。このように、公私のベンチャーをやっていくということは、現行の制度の下でも十分にできるのです。

 公設民営学校の実現はかなりハードルが高いということですが、やり方次第でできると思いました。あと、親の経済的な負担について、藤原先生はどのように思われますか。いま親が負担する教育費は、大きくなっています。子どもを公立学校に通わせていても、修学旅行費、給食費、学校以外に塾や習い事などにかかる費用は家計を圧迫しています。私立学校に通うと、親の負担はもっと大きいです。

藤原 民主党政権が高校無償化というのをやりましたが、無償化するのであれば、小学校・中学校の義務教育の方を先にやるべきです。ほとんどの地方自治体で同じだと思いますけれども、月に教材費で5千円。給食費で5千円くらいかかっているはずです。公立学校では合計で私費(家計)から、最低月に1万円くらいかかります。年間で12~3万円くらいは親が負担している。それに加えて修学旅行だとか、卒業に向けての卒業アルバム積立金だとかも出るわけです。これらの費用をどう負担するのかという問題も、もちろんあると思います。これについては、安倍内閣ではあんまり議論していないみたいですね。

 予算については、文部科学大臣に頑張ってもらうしか方法はありません。あと、先ほどお話した公私間における親の経済的負担の格差是正なども含めて、取り組んでほしいと思います。他に、都道府県毎に私学助成の額も異なりますので、親の負担も異なります。この地域間格差を是正することも必要です。

新しい教育がはじまり、地域が変わる、日本が変わる、世界が変わる

588621ba531e45353e90416755d2d0f5_s藤原 ITの話に移ります。僕は、日本のIT教育は間違っていたと思います。はっきり言って、僕が27歳くらいのときから30年間、さまざまなソフトが開発されてきました。それはNECがやってきたり、富士通がやってきたり、いろいろとやってきました。はじめはキャプテンといわれて、その後はマルチメディアといわれて、次がITです。現在はICTだと言われています。どれ一つとして日本の教育システム(仕組み)を画期的に変えたものは無い。例えば一瞬にして英語教育が変わっちゃたとか皆無です。要するに、一部のオタクの先生たちが取り組んで、どんどん複雑化させてしまいました。このところ10年間くらいは文部科学省がつけている補助金がみんなそうなっていますが、まずパソコンを使いましょうです。そしてコンピュータルームに10台ずつだとか、40台ずつだとかパソコンを入れます。そしてプロジェクターがないと教室で投影できないから、プロジェクターを入れましょうという話になる。最近では電子黒板、インテリジェントボードになって、そしてタブレットの導入がお洒落ということになってきています(笑)。電子ボードとタブレットの間でやり取りをする非常に複雑なソフトが、相変わらず文部科学省の補助金によって開発されていますが、どれ一つ学力を画期的にあげるものになっていません。先生たちの負担を減らす合理的な使い方も開発されてはいません。

和田中で行った「よのなか」科でさえも、英語アドベンチャーコースにしても、45分授業も画期的に学力をあげています。これらはすべてアナログの授業メソッドです。ITで画期的に学力が上がったとか、授業の手間が半減したという報告は一切ありません。要するに、複雑化しすぎちゃって、効率化ができていないということなのです。これをどうするかという話ですけど、僕はもうちょっと基本に戻ってみようと考えています。ある教科のある単元で、最も授業のうまい先生がいるはずですから、日本中から探してきて、それをビデオで撮影してウェブに載せてしまうという計画があります。仮称で「最高の授業net」と呼んでいます。教科ごと単元ごとにWeb上にその教科で最も優秀な先生たちが競争するようになると、つねに授業ノウハウの甲子園が行なわれることになります。

僕のイメージでは5名くらいの先生がいて、男の先生、女の先生、そしてアニメのキャラみたいのがいて、社会科はもしかしたら池上彰が一番いいかもしれませんが、5名くらいが授業の競争をしている状態です。子どもたちの視聴が多くて一番人気のある先生が、一番分かりやすい授業をしていることになります。すると視聴率が一番上がりますから、その人がセンターを取るというAKB方式(笑)。予選も行って、決勝に残る5人の予選も常に行われているから、言ってしまえば全教科の全単元が毎日Web上でコンペが行われている状態を作るわけです。それをやれば、先生の当たりはずれというのが無くなります。わかりますか?

ITで複雑なパズルみたいものをやるより、よっぽどいいと思います。いま、ある会社に投資させようとしています。僕はこれで一番狙おうと思っているのは、小学校の3年生、4年生、5年生、6年生の算数です。冒頭でも言いましたが、3年生の算数からいきなり抽象化が始まります。「3/5と1/4を足す」なんて、普通の子には何のことかまったくわかりません。しかも「3/5に0.2を足す」なんてもっとわかりません。子どもたちにとっては宇宙がひっくり返るような話です。それを如何にやさしく、わかりやすく教えるかというのが最大の問題なのです。

実は、日本の教育界では長年タブーにしていることがあります。小学校で20人くらい先生がいたら、通常一番優秀な先生には1~2年生を担当させます。次に優秀な先生は5~6年生を担当させます。入口と出口を重視しているからです。当然ですよね。そうすると、3~4年生を担当する先生は、ベテランではありません。新卒採用で大丈夫かなという先生は、全国どこでもだいたい3~4年生です。これがわかれば恐ろしいことに気付くと思います。

日本の多くの小学校では、他の教科はともかく、算数で一番重要な抽象概念が始まるところで、一番教えるのが下手な先生が教えていることになるのです。だから日本人は一般的に、論理的思考が弱いのかもしれません。これを何とかしないといけません。しかもなおかつ、小学校には女性の先生が増えていますよね。女性の就業機会が増えるのはとても良いことですが、算数と理科が不得意な女性の先生はいっぱいいます。だから得意な国語は自分で教えてもらって、不得意な算数や理科はビデオで最高の先生に教えさせてくれないかと思うのです。そういうことを真摯にいうと、たいていの評論家は「先生たちのプライドが許さないだろう」って理屈をこねます。

でも、新人の小学校の先生にとって全部の教科を一人で教えることは大きな負担です。しかも不得意な教科はより一層恐怖なのです。だからビデオ授業のWebがあれば「そういうのあるんだったら、ラッキー」という人って新人の先生には多いと思います。だから僕はチャンスだと思っていている。知識教育についてはなるべくビデオに転換していって、知識吸収の効率を上げていくべきなんですね。体育と徳育は別です。知育については、学習方法そのものにサイエンスを持ち込む必要がある。逆に、知識を理解させた後に学校で何をさせるのかが大事です。学校で学習の定着のチェックをしないといけないから、チェックテストをどうやっていくのか。公文みたいにやっていくのか。ビデオ公文を作るようなものなのですね。この子だったら37段階から、43段階に行ってもいいみたいな感じにするといいでしょう。この子どもだったら23段階まで戻って繰り返しビデオで学習したほうがいいとかですね。

ビデオがいいのは、繰り返しみてもいいところです。またもとに戻ってもいい。今の学校って、これだけ多様な子どもたちを前にして、先生が黒板と教科書で同じスピードで同じ授業をするわけです。こういう多様な子どもたちを前にして、このような一斉授業を行うことは、虐待だとさえ思います。わかんない子どもにとっては地獄です。だから個別指導に変えていって、学校ではチェックテスト、評価と、次にどこに進んだらいいというファシリテーションをします。それと、できない子のフォローを含め、児童生徒ひとりひとりへのコミュニケーションを増やします。できる子ができない子に教えることを加速させたり、ディスカッション中心の「よのなか」科のようなコミュニケーション型の授業を増やすのです。ブレストしたりディベートしたりするような授業をこれから15年間くらいで大幅に増やしていきます。知識はなるべくビデオにのせて授業します。でも小学校1、2年生でそれは無理だと思いますので、3年生以上に1割、4年生、5年生、6年生で2割~3割くらいに持っていくのがよいでしょう。中学校では3割くらいはビデオでいい、高校では5割はビデオ。大学なんて100%ビデオでいいと思います。大学の授業は最高の教授(日本の教授ではないかもしれません:笑)のビデオを見てから教室ではディスカッション中心にします。これを「反転授業」と呼びます。

このチャレンジを2013年10月1日から佐賀県武雄市で始めています。それで僕の後任の和田中学校校長の代田昭久先生を武雄市に送り込んでいます。反転授業は半年間現場で使って実験をして、2014年4月以降にサイトについてはアップする予定です。それを使って実際に学校現場で先生と一緒に授業をしていきます。嫌がる先生もいっぱいいると思いますが、佐賀県はフリーエージェント制があるので、佐賀県全域からやりたいというやる気のある先生を集合させればいいんです。それで2015年から本格スタート。それがモデルになって、できたら大阪府や大阪市でもやって欲しいし、杉並区でもやって欲しいです。そういうふうに五月雨式でやっていけば、15年くらいで130年間続けてきた一斉授業をひっくり返せると思います。これを本気でやっていくと、中途半端な塾や予備校は全部なくなるでしょうね(笑)。

 社会科の教員は池上彰に負けないようにしないといけません(笑)。僕は彼のテレビ番組や書籍をチェックしていますが、よく作られているなと思います。まあ、お金がかかっていますから。教員は池上彰に勝てないこともあるかもしれないけれど、教員にできて池上彰にできないこともあるわけです。池上彰は子どもたちのやる気を引き出すことはできないでしょう。池上彰は部活動の指導、進路指導や個別指導もしてくれません。昔のドリフターズじゃないけれど、池上彰は「歯みがきしろよ」とか「勉強しろよ」とは言いません(笑)。

教員の役割というのは、授業、学級担任、部活動、進路指導さまざまあります。忙しいのは確かです。教員の負担を軽減して、児童・生徒ひとりひとりに向き合うためにも映像授業は必要だと思います。授業によって映像を見せることもあるし、自分の得意なところは映像じゃなくて自分の授業で勝負しようという先生もいるでしょう。映像授業を導入することで個別指導や面談の時間を増やしていくことができます。現在の教員の多忙さだと、個別指導や進路相談、進学相談に時間がとれません。教育で大切なのは、親の役割としても教員の役割としても、大人が子どもたちに向き合うことです。具体的には進路相談や進学相談、学習計画を立てさせる、学習習慣をつけさせるなどをしっかりとやっていくことです。親身になって生徒の学力の推移をチェックして、「お前こういうことできるのか!」「こういう学校をもっと調べてみたらいいよ」などの声かけをします。教員のそういう役割は大きいと思います。

いまはどちらかというと高校も大学も、企業もそうですけど、ランキングの上位や有名なところが一流と見られてしまっています。就職ランキングや大学ランキングは、自分に合っている会社や大学なのかどうかとは全く関係ない。進路選択を間違える生徒や学生は多いので、親や教員が子どもたちと一緒に考えることが重要です。

それと、映像授業を同じ単元で複数の教員が授業をして、子どもたちが視聴することができるというのはいいことだと思います。この先生の授業が一番だといっても、すべての子どもに共通した一番の授業はないからです。僕がよく教室で生徒たちにいうのは、これが一番の参考書だとか、これが一番の問題集とか、これが一番の授業というものはないということです。ひとりひとりにとって一番は違います。何でもかんでも、受験産業が「これが一番だ」「これは神だ」とか言っていますが、それは売るために言っているのです。一番いい方法があったら、みんなそれをやっているはずですが、そうではありません。自分にとっての一番の授業を見つけられる、選べるという映像授業はすごくいいですね。それも全てが無料(タダ)ですからすごい。大前研一先生が20年前におっしゃっていたことがようやくスタートするんですね。

沖縄県のような教育後進地域で世界トップレベルの教育を行う

119a42aab6cc41f868536bf43454178f_s藤原 ただ一つじゃないかと思います。大阪府は、文部科学省の全国学力調査が発表されて、都道府県別のデータが発表されたからというのもあるのですが、橋下徹さんがそのタイミングで、「沖縄を除けば大阪がビリ」だと大騒ぎをして、隠そうとしないで、緊急事態宣言をしました。実は僕は橋下さんとはそれ以前に会ったことは無かったわけですが、「藤原さんにやってもらいたい」といきなり朝日新聞に言ってしまって、僕に話してもいないのに特別顧問就任のニュースが流れました(笑)。大阪に行ってはじめて橋下さんに会ったんですが、孤軍奮闘していて、そのころはマスコミから叩かれていました。でも、正しいことを言う人だったので、味方することにしました。重要なのは、首長が「問題だ」と言ってそこに取り組もうとするかどうかですね。それと、人材を集めたり、予算をつけたりしようとするかです。

そういうことをしなければ、沖縄でもいろんな努力がされるでしょうけれども、散発的に終わっちゃうことになってしまいます。これはもうリーダーシップの問題なんです。知事なり市町村長なりがどの程度問題だと考え、それに真摯に取り組めるかどうか。そして人材を結集するかどうかです。沖縄はここ数年リゾート化されて、星野リゾートとかも八重山にいいホテルを作っているじゃないですか。みんな理由があれば来たいところだと思います。大阪よりよっぽど行きたいところなんじゃないかな(笑)。だとしたらどうしてそこに教育のメッカをつくらないかということです。そこに首長が教育のメッカをつくるリーダーシップを持てれば、それを可能にする人材が集まります。

学力をどういうふうにしたら上げることができるのかというのは、僕にしたって、大阪府の教育委員長の陰山英男先生にしたって、ここにいる森先生だって、みんな分かっているんです。実際に現場で成し遂げた実績があるから。和田中学校は杉並区で学力が23校中21位くらいだったのが、今はトップです。何をしたら上がるか、分かっている人がいっぱいいるのに、なぜそういう人たちを呼んでやらないのか、ということ。やらないというのは、たぶん、本当に問題だとは思っていないからでしょう。僕はリーダーがそれを指摘して、緊急事態宣言として騒がなければ、変わらないと思います。でもマクロに変わらない中でも、独立心を持って自分の仕事としてやる人には、地域や学校で頑張ってほしい。それはどんなに虐げられても、どんなにサポートがなくても、どんなに補助金を受けられなくても、たった一人でも、自分の人生としてやるべきなんです。それは、人生という芸術作品の表現であり、大人の責任ですから。

 政治家のリーダーシップ、知事をはじめとして市町村長がリーダーシップを持たないといけません。選挙で当選したらそれで終わりではないのです。問題意識を持つことと問題を見つけたときに隠蔽しない、または問題を薄めてしまわないということが大事だと思っています。

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©OIST/ギンター

沖縄県には沖縄科学技術大学院大学(OIST)という政府系の大学院があります。ここでは国が莫大な予算をかけて研究しているわけです。そこには世界一流の研究者がたくさんいて、将来ノーベル賞を受賞することが期待されている研究者もいるわけです。OIST教授で文化勲章を受章されている柳田充弘先生が、本校で講演してくれました。柳田先生はブログに講演会の感想とともに沖縄県の教育について書かれています。以下に引用します。

「金曜日には浦添市にある昭和薬科大学の附属高校にでかけて高校1年生と2年生を相手に講演をしました。なかなか興味深い体験でした。知らなかったのですが、沖縄県では随一の進学校といえるらしいです。子供たちもしっかりした顔立ちでなるほどと、納得できます。内地の私立の進学校は開成、麻布、久留米、や桜陰など男女の別学がほとんどですが、この学校は男女共学、いいですね。進学校といっても東大今年合格者3人ですから多くはないが、琉球大学医学部合格者が25名と聞けばそれはともあれすごい、と思います。なお、沖縄県の全国学力テストの平均結果は全国最下位だそうです。この学校がどうも突出している存在らしいということが徐々にですが分かってきました。沖縄県では著名のようですがあまり話題にされないというか、したくない存在なのかもしれません。とくに教育関係者には。つまり子供が最初から学業優秀なのかそれとも先生が優秀なのか、それとも両方か、いずれにせよ公立の先生は別世界の学校と思っているのでしょう。わたくしがなぜこの高校に出かけていったのかというと、昭和薬大の学長先生にはお世話になっていて、来沖の際に高校の校長先生と共々お会いしたことがあるからです。なお、昭和薬大の大学が沖縄にあるのではないのです。沖縄県には薬大も薬学部もありません。創立40周年だそうで、かつて昭和薬大の先生の沖縄教育復興の助けになればということで高校を創設したという経緯があるようです。経緯はどうあれ、この学校をもっと注目してもいいでしょう。沖縄の子は学力が低いとかいう一般論はここでは適用されないし。わたくしの講演も終わったあとでずいぶん質問があって、どれもよいものでした。京都では長年洛南や洛星を白眼視する傾向がありましたが、公立の堀川高校ができて、あっという間にトップクラスの進学校になってしまって、受験事情もそれなりに「正常化」してきたようです。進学校をどう見るか、世間は色々でしょうが、ともあれ難しい大学に入る人材は輩出しているわけですし、20年、30年で大きな影響が出るものです。沖縄では、私学では尚学というところも有数の進学校と聞いています。公立でも3年制や6年制で特別高校をつくってなんら悪いことは無いでしょう。この昭和薬大の附属高校には、また気軽なかたちで出かけていってもうすこしはっきりした印象を持ちたいものでした。沖縄にはディープな場所が沢山あるのでして、わたくしはそれなりに再訪問をして、印象を確かめるのを楽しみにしています。この学校も他の場所のディープさとは違いますがなにかがあるし、分かりたいと思いました。特に父母と話したら面白いのかもしれません。父母の8割は沖縄人のようです。苗字でも分かってしまうのですよね。」(生きるすべ IKIRU-SUBE柳田充弘ブログmitsuhiro.exblog.jp

沖縄県は学力最下位だといわれているのに、沖縄県には私立学校で全国トップレベルの学校があります。スルーされている。藤原先生がおっしゃるように、学力をあげる制度とか仕組みというのは分かりきっているので、あとはやると決めてやるのか、やらないのかということのいずれかのひとつです。将来、子どもたちは社会人になって職業人になるので、沖縄県の県民や産業界が「こういう人材を育てて下さい」「こういう教育をして下さい」と教育界に対して叫ぶべきです。そして、国や県は教育への財政支援を拡充すべきです。沖縄で育った優秀な人材が自分たちの社会や会社の人材となる、というような考えを持つべきです。そして、「共生」をテーマに地域のみんなが協力し、教育に参加していくべきです。また、巨額の税金をつぎ込んでいるOISTのような世界最先端の研究施設もあり研究者もいるのですから交流しないのはもったいないです。

沖縄が教育のメッカとなる可能性を持っていることを再認識しました。それと、藤原先生の最後の言葉「たった一人でも、自分の人生としてやるべきなんです。それは、人生という芸術作品の表現であり、大人の責任ですから」に感動しました。本日はありがとうございました。これからも応援をお願いします。

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■Profile
藤原 和博 Kazuhiro Fujihara
教育改革実践家/杉並区立和田中学校・元校長/元リクルート社フェロー
©IHA

1955年東京生まれ。78年東京大学経済学部卒業後、株式会社リクルート入社。東京営業統括部長、新規事業担当部長などを歴任後、93年よりヨーロッパ駐在、96年同社フェローとなる。2003年より5年間、都内では義務教育初の民間校長として杉並区立和田中学校校長を務める。08年~11年、橋下大阪府知事の特別顧問に。
キャリア教育の本質を問う[よのなか]科が『ベネッセ賞』、新しい地域活性化手段として「和田中地域本部」が『博報賞』、給食や農業体験を核とした和田中の「食育」と「読書活動」が『文部科学大臣賞』をダブル受賞し一挙四冠に。
また、「私立を超えた公立校」を標榜して45分授業により授業数を増量。「地域本部」という保護者と地域ボランティアによる学校支援組織を学内に立ち上げ、土曜日に補習を行なう「土曜寺子屋(ドテラ)」、英検協会と提携した「英語アドベンチャーコース」、進学塾と連携した夜間塾「夜スペ」等学校を開くことで話題に。
著書に『人生の教科書[よのなかのルール]』『人生の教科書[人間関係]』(ちくま文庫)など人生の教科書シリーズがあり、「人生の教科書作家」と呼ばれることがある。ビジネス系では『リクルートという奇跡』、情報編集力の本質を和田中での改革ドキュメントとともに解説した『つなげる力』(ともに文春文庫)。教育系では『校長先生になろう!』(ちくま文庫)、『教師を信じろ!』(ぎょうせい)、共著に40万部を超えるベストセラーとなった『16歳の教科書』(ドラゴン桜公式副読本/講談社)、さらに家族論として長く父親、母親から評価の高い『父親になるということ』(日経ビジネス人文庫)がある。
なお、中高生向けには『ビミョーな未来をどう生きるか』、児童生徒の保護者には学力、いじめ、ケータイとテレビ問題を論じた『新しい道徳』(いずれも、ちくまプリマー新書)が読みやすい。
人生後半戦の生き方の教科書『坂の上の坂 55歳までにやっておきたい55のこと』(ポプラ社)は現在12万部を超えるベストセラーに。近著はポプラ新書『負ける力』で「勝つ力」でないのは何故かの謎解きがミソ。日本の技術と職人芸の結晶であるブランドを超えた腕時計「japan」(左竜頭、文字盤漆塗り)を諏訪の時計師とファクトリーアウトレット方式でオリジナル開発。ネットを使えば個人新聞社や個人放送局だけでなく個人マニュファクチャラー(生産者)も可能になることを証明した。
高校時代はバスケット部だったが、弱くてもっぱら強い女子バスケ部の相手をさせられた。いまはテニスに一所懸命。3児の父で3人の出産に立ち会い、うち末娘を自分でとり上げた貴重な経験を持つ。
詳しくは「よのなかnet」http://yononaka.net
ツイッター/夕刊的なつぶやきは@kazu_fujihara
フェイスブック/藤原和博のネオジャパネスクでコーポラな商品開発は藤原和博のデザインワーク https://www.facebook.com/fujihara.design

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■Profile
森 弘達 Hirotatsu Mori
昭和薬科大学附属高等学校・中学校教諭・高校3学年主任/一般財団法人日本私学教育研究所委託研究員/浦添市てだこ市民大学運営委員・講師


1972年東京生まれ。95年亜細亜大学法学部卒業、オレゴン州立大学留学、沖縄県昭和薬科大学附属高等学校・中学校地歴公民科・社会科教諭。2004年より進路指導部主任、08年より生徒指導部主任、10年より高校2学年主任、12年より高校3学年主任を務める。倫理、政治・経済、現代社会、小論文を担当し、全国の大学入試問題を徹底的に分析した出題予想、最新時事をくまなく押さえた講義、小論文の個別添削指導、インタビュー学習、沖縄をテーマとした論文学習などを展開。これまでに個別指導した生徒たちの中から国公立大学・私立大学医学部医学科に500人以上が合格した。
顧問として指導しているディベート部はディベート甲子園九州大会優勝・全国大会には10回以上出場し、上位入賞という実績を残している。同じく顧問として指導している吹奏楽部は沖縄県吹奏楽コンクール金賞6回受賞・九州大会最優秀賞受賞、2012年には沖縄県代表として第36回全国高等学校総合文化祭富山大会吹奏楽部門に出場し、G.ガーシュウィン作曲のラプソディ・イン・ブルー、吹奏楽とエイサー・三線(サンシン)とのコラボレーションによる沖縄ポップス・メドレーを演奏し、好評を博した。同年、吹奏楽部は第32回全国豊かな海づくり大会天皇皇后両陛下奉迎演奏に出演し、團伊玖磨作曲の祝典行進曲を演奏した。
公職として、沖縄県沖縄次世代委員会委員(知事委嘱)、浦添市未来まちづくり委員(市長委嘱)、国語力研究所研究員などを歴任し、現在は、沖縄県吹奏楽連盟理事、一般財団法人日本私学教育研究所委託研究員を務める。
社会貢献活動として、大前研一氏創設の特定非営利活動法人政策学校一新塾講師を務め、社会起業家や国会議員・地方議員を対象にディベートや公共政策を指導した。
世界で貧困や紛争のため、レベルの高い教育を受けられない子どもたちのために映像授業を実施しているドラゴン桜「e-Educationプロジェクト」のリーダー税所篤快さんを応援している。詳細はhttp://www.55shingaku.jp/shingakuzukan/13091/。2000年、G8九州・沖縄サミットでは高校生サミットの指導者を務め、森喜朗首相から官邸に招待され、会談を行った。
ボランティアとして、一般社団法人琉球フィルハーモニー管弦楽団の顧問(アドバイザー)を務め、オーケストラのマネジメントやオーケストラによる教育についてアドバイスしている。民間教育連盟の政策担当幹事として、教育政策の研究・提言に取り組んでいる。
著書に『わたしたちの沖縄問題』(ボーダーインク)、『ほんとうの「国語力」が身につく教科書』(Z会)、『解決!センター現代社会』(Z会)、『大学入試政治・経済〔政治編・経済編〕の点数が面白いほどとれる問題演習』(中経出版)、『特化型小論文チャレンジノートAО・推薦入試編』(第一学習社)がある。『全国大学入試問題正解政治・経済』(旺文社)では解答者を長年務めた。雑誌『螢雪時代』では長年、東大講座、小論文講座・面接講座、受験アドバイスを担当し、受験生に親しまれた。
藤原和博先生からは直接指導を受け、よのなか科マスター・ティーチャーを取得、校長研修も受講、その後も藤原和博先生から教育活動について親身なアドバイスを頂いている。
2児の父として妻とともに悩みながらも躾や基礎教育、音楽教育を大切にした子育てを展開中。たびたびテレビやラジオにも出演。