沖縄で学ぶ島ないちゃー
沖縄国際大学 坂本 奈津希さん
沖縄に行くことになったきっかけ
小5のときにエレクトーンのコンクールで民族楽器を使ったメドレー曲を演奏するときがあって、ひとつのフレーズの中に沖縄の楽器(三線とか琉球琴とか)が使われていてその部分がすごく好きになり、使われている楽器のことを調べたら沖縄のものと知って、それがすごく気に入って、沖縄に行きたいな〜と思いました。
保護者との話し合い(沖縄へ行くときにどういう反応だったか)
「いくら遠いところへ進学するといっても、陸続きのところにして!」と言われていましたが、中学のころには沖縄へ進学したいと考えていて、高校ではバイトをして貯金して夏休みとか冬休みに姉や友人と、ときには一人で来たりとよく沖縄へ来ていました。
そんな私を見ていたからか、はじめは反対していた両親も高校三年の春頃に「沖縄へ進学したいんでしょ?塾とか行かないでいいの?動かないでいいの?」と言われて『ちゃんと考えていてくれてたんだ!』と嬉しくなりました(笑)
沖縄へ来てよかったこと
自然にたくさんふれあえる。大阪もみんな温かいんですが、沖縄も人が温かい。優しいです。あと、生活をしている中で、こういうところまでしていたんだなぁと、いろいろ学んで、親って偉大だなって思えた事です。
地元と違うウチナンチュ独特の習慣、驚いたこと
お墓の前でピクニック(シーミー)
沖縄へ旅行へ来ているときは沖縄のお墓はこんなに大きいんだ。珍しいな。としか思っていなかったんですけど、沖縄へ住んでから、通学の途中で5月くらいにお墓の前の道が縦列駐車でうまってて、何してるのかな?とお墓のほうを見てみると、ブルーシートを広げてみんなで楽しそうにピクニックしてる!と衝撃を受けました。後からシーミー(清明祭)ってわかったんですけど。
地元で夜中にお墓の前を自転車で通ったら怖くてゾクっとするんですけど、沖縄はシーミーとかでみんながピクニックみたいなのをしているので怖くないというか(笑)
沖縄へ来てこれは文化の違いというか、衝撃を受けました。
湿気が多い
習慣ではないんですけど、沖縄へ来て驚いたことは湿気が多いこと!
特に大阪へ帰省して那覇空港へ着いたときに搭乗口から降りるときに“モワッ”と感じる。すぐにカビが生えたりしたのですぐ除湿器を買いました(笑)
結婚式(披露宴)で人の話を聞かない
結婚式の余興で、エイサーの演舞を依頼されて行くんですけど、お客さんが多いのもすごいなぁと思いましたが、人の話を聞かないですね(笑)
友人代表とかめっちゃいいこと言ってるのに聞いてないとか(笑)
※沖縄の結婚式(披露宴)はワイワイガヤガヤしています。
初めて覚えたウチナーグチ
「だから、だからさぁ、だからね」(そうだね。そうだよね。というような共感)
たとえば私が「昨日こういうことがあったんだけど、こう思わない?」って投げかけたら友達が「だから、だから!」って言うんですよ。
共感してくれているとはわかったんですけど「だから」という接続詞なので、このあとから友達からの話があるんだと思って待っていたら、何も続きがなくて『え?』みたいな(笑)
それに続きの話がないとわかってきたのはそれから2、3ヶ月過ぎたくらいで、大阪でいう「そうやんなぁ」「せやんなぁ」みたいな感じの返しだということなんだろうなと感覚としてはわかったんですけど、「続きがあるの?」と思って身構えてしまう自分も居て、それに慣れるまで少し時間がかかりました(笑)
※坂本さんは気づいていなかったが、会話中に「たんちゃー(短気)」とかうちなーぐちがちらほら出ていました。
好きな沖縄料理
じーまーみー豆腐
ピーナッツは食べられないんですけど、じーまーみー豆腐は好き。
はじめて食べたとき甘いお豆腐だ!って衝撃を受けたんですけど、それがとてもおいしくてそれからは居酒屋等に行ったときに必ず注文するし、スーパーでも買います。
地元へ帰省するときに必ず持っていく沖縄土産
紅芋タルトと紅芋まつり
地元へ帰省するときは、みんなの好みがわからないので、たくさん種類の入っているものを持っていって、好きなの食べて〜って渡します(笑)
紅芋まつりは、紅芋を使ったお菓子がたくさん入っているもので紅芋タルトとかちんすこうとかクッキーとかの詰め合わせです。
これから沖縄で学ぶ人へのアドバイス・メッセージ
沖縄へ進学を考えているみなさん、本州とは陸続きではないというところや交通手段が飛行機、船しかないということもあって親御さんもすごく心配すると思います。
私の両親も実際そうだったし、逆に私が親の立場であっても反対したと思います。その反面、自分の子だから、やりたいことをやらせてあげたいというところもあると思うし、好きな事をやって欲しいという想いもあると思うので、「言っても無理だろうなぁ」とか思っているかもしれないですが、言ってみることで変わることもあるので(実際、私がそうでした)勇気を持って一度、両親と向き合うことをしてほしいと思います。
そしたら今現在居る、自分の地元だけではなくて第2の地元ができると思うし、沖縄へきて4年経ちますが、ほんとうにこちらへ来て正解だったなと思います。
まず、話してみるという第一歩を踏み出してください。
会話の中でご家族とすごく仲が良いと感じたので沖縄へ来たときにホームシックはなかったの?と尋ねたところ、家族や友人が毎日電話をかけて来てくれて、ホームシックにはならなかったとのこと。その電話の話の中で地元の友人がみんなでお金を出し合って坂本さん専用の携帯を契約して送って来てくれたというエピソードを聞くと、坂本さんはすごく周りの人から大事にされているんだなと感じました。
沖縄へ来てからは、エイサーサークル「琉球風車(りゅうきゅうかじまやー)」で締太鼓のパートリーダーを努め、社会人バスケットボール部のマネージャーもこなし、平日の夜はエイサーの練習、週末は披露宴での演舞や、挙式などのエレクトーンの伴奏に、バスケ部の練習や試合のマネージャーと忙しいけれどたくさんの人に囲まれて充実した生活を楽しんでいるという坂本さん。
将来は沖縄の音楽、特に伝統音楽に関わる仕事に就きたいと目を輝かせて話していました。これから取材先で、会う機会が増えるかもしれないですね!楽しみです。
坂本 奈津希 Natsuki Sakamoto
沖縄国際大学 総合文化学部 日本文化学科 4年。
大阪府出身。大阪市立天王寺商業高等学校卒業。
「沖縄の音楽が好きで、そこから沖縄のことが好きになり、音楽はもちろん歴史や文化を学びたい」と勉強中。